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コラム

eスポーツの歴史とは?ゲームの歴史や世界各国のeスポーツ業界の発展について詳しく解説

eスポーツ全般

現代では身近な存在となったゲーム。パソコンやゲームハード、スマートフォンなど、さまざまな媒体で多くの人がゲームに触れています。

しかし、ゲームが開発されたのは比較的最近であり、この数十年のなかで目覚ましい発展を見せています。そんなゲームの発展と共に新しい文化として生まれたのがeスポーツです。

今回は、ゲームの発展とeスポーツの歴史について詳しく紹介します。合わせて、国内外のeスポーツの成り立ちや歴史と共に、当時の人気ジャンルや人気タイトルについても紹介しているので、ぜひ参考にしてみてください。

eスポーツとは

eスポーツはコンピューターゲームを使用して勝敗を競うスポーツです。エレクトロニックスポーツ(electronic sports)の略称で、世界で続々と競技人口を増やしている新興スポーツの一種と言えます。

男女間の性差や年齢差などを問わず競えるジェンダーレス、エイジレスなスポーツとして人気を博しており、市場規模は年々増加しているのが現状です。

コンピューターを用いて競うことから「スポーツという名称を用いるのはおかしい」という意見もありますが、eスポーツは教育現場や地域創成、福祉支援、などにもスポーツとしての効果が認められており、アジア競技会を初めとした世界的なスポーツ大会でも徐々に認められつつあります。

コンピューターゲームの歴史

eスポーツの歴史を語る上で欠かせないのがコンピューターゲームの歴史です。まずは、コンピューターゲームの開発から始まる歴史についてみていきましょう。

世界で最初に作られたコンピューターゲーム

世界で最初に開発されたコンピューターゲームは、スペインのレオナルド・トーレス・ケベードが開発したチェスゲームだと言われています。レオナルドが開発したチェスゲームは「エル・アヘドレシスタ」と名付けられ、当時はオートマタ(自動人形)に分類されていました。

エル・アヘドレシスタは、チェスボードの下に備え付けた電磁石によって駒を動かし、自動でエンドゲームを行えるシステムが組み込まれています。人間が動かす駒にチェックメイトをかけることができ、システムを紐解いた結果エル・アヘドレシスタはオートマタではなく史上初のコンピューターゲームであると考える声が多く挙げられています。

ゲームは電気機械式に進化する

エル・アヘドレシスタに続いてゲームが大きな進化を遂げたのは1940年頃です。ニムという数学的ゲームをプレイできるゲーム機・ニマトロンが発表されます。ニマトロンは電気機械式リレーによって設計され、12パターンの戦略でプレイヤーと対戦していました。

ブラウン管を利用したゲーム機が登場

1950年代にはブラウン管を利用した史上初のコンピューターゲームが登場。そこからゲーム業界は劇的なスピードで進化していきます。

コンピューターによるプログラミングを駆使して複雑なゲームの開発が可能になり、1960年代初頭にはアメリカで当時最もプレイされたゲームと名高い「スペースウォー」が開発されました。

家庭用ゲーム機の誕生

スペースウォーは、宇宙戦争を題材にしたミニコンピューターPDP-1でプレイするゲームでした。しかし、当時コンピューターは広く普及しておらず、お世辞にも誰でもプレイできるとは言い難かったでしょう。

1970年代に入るとアメリカ人発明家ラルフ・ヘンリー・ベアが家庭用ゲーム機オデッセイを開発し世界に衝撃が走りました。当時は1つのゲーム機に1つのタイトルだけが設計されており、オデッセイの誕生を皮切りに「ポン」「コンピュータースペース」「ブレイクアウト」など、内容を模倣したさまざまなゲームが誕生しています。

これらのゲーム機は日本でも人気を呼び、徐々にゲームの普及が始まっていきました。

任天堂が初めて作ったゲーム機

現代ではNintendo Switch、Wiなどで知られるゲーム開発会社任天堂ですが、同社が初めて開発したゲームをご存知でしょうか。

ファミリーコンピューターを想像する人も多いでしょうが、実は任天堂が初めて作った家庭用コンピューターゲーム機は「カラーテレビゲーム15」でした。この頃には世界でゲームの新たなジャンルが続々と生まれ、ロールプレイングゲームなども開発されています。

日本で大ブームを巻き起こしたインベーダーゲームの誕生

ゲームの目覚ましい進化が起こった1970年代終盤には、日本で爆発的な大ヒットを記録したアーケードゲーム、スペースインベーダーが誕生しています。喫茶店などに設置されたテーブル型のゲームとして多くの若者に人気を博し、社会現象を巻き起こしたことでも有名です。

1980年代に入るとゲーム人気を追い風に任天堂が開発したゲーム&ウォッチが世界的大ヒットとなり、ファミリーコンピューターをはじめとした大ヒット商品を次々に発表。世界に任天堂の名を広めていきました。

ちなみに現代でも根強い人気を誇るドラゴンクエストは1984年に1作目が開発・発売されています。

SEGA・SONYの躍進による3大ゲーム会社の確立

1990年代になると任天堂の看板商品であるスーパーファミコンとSEGAの開発したメガドライブにより、ゲーム派閥が2つに分断されました。

しかし、ファミリーコンピューターのファンをそのまま引き継ぐ形でシェアを広げた、スーパーファミコンは圧倒的な支持を得て、SEGAの躍進を食い止めます。SEGAはその後、看板商品となるセガサターンを開発。そしてついに第三勢力となるソニーがPlayStationを開発・発売し家庭用ゲーム機の戦国時代が始まります。

3社が競合することで、家庭用ゲーム機は爆発的なスピードで進化し広く普及していきました。

eスポーツの時代が到来

2000年に入ると「eスポーツ」という造語が作り出され、FPSや格闘ゲームなどから現在も競技タイトルとして選出されるゲームの1作目が次々とリリースされていきます。

家庭用ゲーム機だけでなく、PC用ゲームソフトも徐々に開発され、2007年には今も尚プレイされる人気FPS「レインボーシックスシージ」の前作となる「レインボーシックスベガス」が誕生しています。

オンライン環境の普及によりクロスプラットフォームが主流に

家庭用ゲーム機やパソコンゲームの進化によって、次々と高性能なゲームが誕生し、インターネットを介してゲームをプレイするオンラインゲームにも人気が集まるようになりました。

オンラインゲームの進化によってさまざまな機種で同じタイトルをプレイするクロスプラットフォームが生まれ、対戦型ゲームはさらに盛り上がっていきます。オンライン対戦型ゲームの普及によりeスポーツはより盛り上がりを見せ、従来のオフライン大会のみならずオンラインでのeスポーツ大会なども開催されるようになり、競技レベルはより高くなっていました。

eスポーツの歴史

コンピューターゲームの歴史と共に、eスポーツも独自のスポーツ文化を確立していきます。続いてはeスポーツの歴史について解説します。

世界初のeスポーツ大会

世界初のゲーム大会は、1972年に行われたアメリカ・スタンフォード大学の学生が開催したと言われる「スペースウォー!」の大会です。

ギネス世界記録にも世界初のビデオゲームトーナメントとして記録される同大会の参加者は24名。商品は雑誌1年分であったと記録されています。

日本で初めてゲームの全国大会が行われたのは1974年。セガが開催した「セガTVゲーム機全国コンテスト」です。全国のゲームセンターで予選が行われ、勝ち上がった選手が東京決勝大会に挑みました。

ゲームの大会への社会からの関心は冷めたものでしたが、1980年に世界的に大ブームを巻き起こしたインベーダーゲームによって、その見方は大きく変わります。

日本では社会現象を巻き起こし、あまりの加熱ぶりに政治家や教育機関などからインベーダーゲームの自粛を求める声が上がり1980年代に入る事にはブームの終焉を迎えましたが、アメリカで1980年に行われた「スペースインベーダー選手権」には、全米から1万人もの参加者が集まったと言われています。

現代eスポーツの前身大会が始まる

1990年代に入り、コンピューターゲームの普及が爆発的に広がるなか、日本では格闘ゲームが人気を博しました。

それに伴い、1992年に開催されたのがゲーム雑誌「ゲーメスト」が主催する「ゲーメスト杯ストリートファイターⅡダッシュチャンピオンシップ」でした。当時若者達の間で圧倒的な支持を得ていたストリートファイターを競技タイトルとして行われた大会は注目を集め、現在もレジェンド格闘ゲーマーとして知られる「太刀川氏」は同大会で優勝を果たしています。

1993年にはストリートファイターのカプコン公式大会「ストリートファイターⅡターボチャンピオンシップ’93in国技館」が開催され、全国から約8,500名の参加者が予選を戦ったと言われています。同大会は現在も継続して行われ世界規模に拡大し、SFL(ストリートファイターリーグ)ワールドチャンピオンシップとして、国内では最も歴史の長いeスポーツ大会として開催されています。

また、1995年にアメリカで行われた格闘ゲーム大会「Battle by the Bay」は、現在eスポーツの格闘ゲームタイトルとされるEVO(Evolution Championship Series)の前身大会と言われています。

世界タイトルを獲得した日本人ゲーマーの誕生

1990年代、日本では子ども達や若者がゲームに熱狂するなか「ゲームをすると頭が悪くなる」など大人達の偏見が強くありました。そんななか、ゲーマーという存在を作り上げたのが今も尚活躍する格闘ゲーマー・ウメハラ氏です。

1998年に行われた「ゲーメスト杯ストリートファイターZERO3」大会では、優勝選手にアメリカで開催される「STREET FAIGHTER3 WORLD CHAMPIONSHIP」への出場権が与えられました。

国内で出場権を得てさらに同大会で優勝を果たし世界王者の地位に就いたのがウメハラ氏です。大会の様子はテレビで取り上げられ、これまでゲームに向けられていた偏見を覆す大きなきっかけとなりました。

eスポーツの誕生

世界ではゲーム文化が急速に進化し、特に普及スピードの速かった韓国やアメリカでは1990年代後半から国民的な支持を経てプロリーグなども設立されました。その際に韓国で誕生したのが「eスポーツ」という造語だと言われています。

ゲームを正式な競技種目として普及するために作られたeスポーツは全国に広がり、今やグローバルスタンダードとして扱われています。

同じくゲーム文化の普及が早かったアメリカやパソコンゲームが爆発的に普及したヨーロッパでもeスポーツは受け入れられ、格闘ゲームに限らずさまざまなジャンルで競技レベルが向上していきました。

世界から10年遅れて日本でもeスポーツが普及

世界がeスポーツに熱狂するなか、日本ではゲーム自体は普及するもののeスポーツ文化が浸透するには至りませんでした。

日本で初めてプロとして活動するゲーマーが誕生したのは2005年のことです。日本初のプロゲーマ―SIGUMA氏はプロゲーマ―として株式会社ASKと選手契約を交わし1年間、プロゲーマ―として活動したことが記録に残っています。「プロゲーマ―」という職業が存在しないなか、自らスポンサー契約を結んでくれる企業を探し、契約を結んだSIGUMA氏はFPSジャンルの世界大会に出場。世界大会などへの遠征費用や最低限の生活費用などを支援してもらう、現在のプロゲーマ―と同様の形でスポンサー契約を獲得した先駆者とも言えます。

SIGUMA氏の活動は約1年間と短い期間で終了しましたが、2010年ストリートファイターで一世を風靡したウメハラ氏がプロ格闘ゲーマーとなり、徐々に日本eスポーツ界が切り開かれていきます。

コロナ禍によってeスポーツが急速に普及

2018年頃から世界に猛威を振るったコロナウイルス感染症。未知の感染症に世界中がパニックになり、外出自粛を余儀なくされました。さまざまな業界が経済的大打撃を受けるなか、自粛しながらでもプレイ可能なeスポーツは成長し続けました。

外出自粛の流れからゲーム業界は急激に業績を伸ばし、競技人口の増加や競技レベルが向上し続けます。外出自粛によって大会などの開催が危ぶまれましたが、オンライン環境を担保できる国などでは、大会はオンラインで開催され野球やサッカーなど一般的なスポーツが自粛を余儀なくされるなか、eスポーツだけは独自の形式で大会を続けることができました。

日本でのeスポーツの盛り上がりを受けて2018年に日本eスポーツ連合(JuSU)が発足。プロライセンスの発行や世界大会への選手派遣など、世界に約10年以上遅れる形になりましたが、ようやくeスポーツ選手の地位確立や世界レベルの選手育成の基礎が完成しました。

eスポーツの歴史はこれからも続く

eスポーツは他のスポーツに比べれば、歴史が浅く知名度も高いとは言えません。しかし、コンピューターテクノロジーが発展し続ける現代との相性が非常に良いeスポーツは今後ますます進化し続けるでしょう。

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